Share

第5話 誰も、悪くない

Author: みだん
last update publish date: 2026-09-17 03:21:04

「あの夜、そなたたちは二人で言うたであろう」

結守さまは、指を折りながら言いました。

「この人と結婚して、長く暮らしていきたい、と。一字一句、同じであった。あんなに揃うた願いは、久しく聞いておらぬ」

その通りです。

私が言いました。

和樹くんも言いました。

「じゃからわしは、長く暮らせるようにした。何がいかんのじゃ」

いけないことなど、ひとつもありませんでした。

言葉のとおりに叶えてもらっただけです。

私たちは「この人と」としか言いませんでした。

「この人ひとりと」とは、言わなかったのです。

だって、四人になってしまうなんて思わなかったから。

「……ひとりと、暮らしたかったんです」

「なぜ」

結守さまは、本気で聞いていました。

「縁は多いほうがよかろう。結ばれるほど豊かになる。一本きりの縁など、切れたら終わりではないか」

この神さまにとって、縁とは網のようなものなのだと思いました。

太い糸が一本あるより、細い糸がたくさん絡み合っているほうが丈夫で、豊かで、ありがたい。

何百年も、そうやって土地と人を結んできたのでしょう。

私は、何も言い返せませんでした。

この神さまは、人が一対一で約束をする生き物だということを、知らないのです。

何百年もこの土地にいて、縁を結び続けてきて、それでも知らなかったのです。

誰も、悪くありませんでした。

それが、いちばんどうしようもないところでした。

「あの」

私は、まだ希望を持っていました。

「みんなの記憶は、どうなっているんですか。写真も、学校の名簿も、全部——」

「知らぬ」

「え」

「わしがしたのは、分けたことだけじゃ」

結守さまは、はじめて困った顔をしました。

「翌朝、わしも驚いた。世界のほうが勝手に辻褄を合わせおった。四つの魂が在るのなら、四人分の居場所が要る。そういうことなのじゃろう。わしにも止められぬ」

私は、自分の頭の中にある偽物の思い出を思いました。

新太くんの体育祭。

幸也くんの雪だるま。

久遠くんの図書室。

どれも、あるはずのない記憶です。

それなのに、思い出そうとすると勝手に色がつきます。

新太くんの走る背中も、雪だるまに刺さった柿の種も、図書室の埃っぽい匂いまで。

私の頭の中にも、誰かが勝手に手を入れているのです。

「じゃあ、どうして私だけが、覚えているんですか」

「同じときに、同じ願いを、わしの前で捧げたからじゃろう」

結守さまは、自信なさそうに言いました。

「たぶん、じゃがな。わしも全部を知っておるわけではない」

最後に、私は聞きました。

いちばん聞きたかったことを。

「戻してください」

結守さまは、しばらく黙っていました。

「今は、できぬ」

「どうして」

「縒り分けたばかりの緒は、まだ細い。四本とも、生まれたての糸のようなものじゃ。いま一本に戻せば——」

その子は、指先で何かを断ち切る仕草をしました。

「切れる。四つとも失う」

四つとも。

つまり、和樹くんも、です。

戻せば、彼は消える。

戻さなければ、彼は四人のままです。

どちらを選んでも、私が知っている和樹くんは帰ってきません。

私は、石畳に座り込みました。

和樹くんは今ごろ、どこにいるのでしょう。

そんなことを考えて、すぐにやめました。

今ごろ、四人とも同じ家に、当たり前の顔で帰っているのです。

晩ごはんを四人分食べて、四人分の布団で眠るのです。

ひとりぶんの和樹くんが帰る家は、もうどこにもありませんでした。

結守さまは、私の横にちょこんと座りました。

慰めようとしているのだと、少しだけ分かりました。

やり方を知らないだけなのです。

「なあ、娘」

「……はい」

「あれは、四人とも、あれじゃぞ」

私は答えませんでした。

それが慰めになると本気で思っている声だったので、余計に答えられませんでした。

それから結守さまは、思い出したように、独り言のような調子で言いました。

「まあ、緒が育てば、話は別じゃがな」

「……え」

顔を上げたときには、もう誰もいませんでした。

白い着物の裾が、石畳の上でひらめいた気がしただけです。

「待ってください。今のは、どういう」

誰もいない境内に向かって、私は聞きました。蝉の声だけが返ってきました。

緒が育てば。

その言葉を、私はそれから何度も、何度も思い返すことになります。

境内が暗くなっていました。

石段の下から、蝉の声が上がってきていました。

どれくらいそうしていたのか分かりません。

石段を駆け上がってくる足音が、四つ分聞こえました。

「澪!」

「澪、いるのか!」

「澪ちゃーん、いないのー?」

「……澪」

鳥居のところに、四人が立っていました。

新太くんは肩で息をしていて、幸也くんは携帯を握りしめていて、久遠くんは私の靴を見ていて、和樹くんは、私の顔を見ていました。

四人とも、必死の顔をしていました。

幸也くんの前髪は汗で額に貼りついていて、久遠くんの膝には転んだらしい擦り傷がありました。

この人たちは、私が鞄を置いて出ていったというだけで、町じゅうを走り回ったのです。

「どこ行ってたんだよ。鞄、玄関に置きっぱなしだって聞いて」

「探したんだよ、ほんとに」

四つの声が、私の名前を呼びました。

「澪」

同じ高さで、重なりました。

私は泣きました。

声を上げて、みっともなく泣きました。

四人がどうしていいか分からずにおろおろするのが、和樹くんそっくりで、それでまた涙が出ました。

このとき、私はもう分かっていたのだと思います。

この人たちのことを、私はこれから、好きになってしまう。

一人だけを好きでいると決めたはずの私が、四人とも好きになってしまう。

和樹くんの声で名前を呼ばれて、和樹くんの笑窪を見て、和樹くんの癖を見せられて、それで好きにならずにいられる人がいるでしょうか。

しかも四回です。

毎日、四回。

それが、この世で、いちばん怖いことでした。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第57話 付き合っていましたか

    六月の終わりに、大きいものが一つ、なくなりました。その日も、私はいつものように記憶を数えていました。新しいものから、古いものへ。五月の縁側。四月の教室。三月の話し合い。正月の初詣。十二月の手袋。文化祭の後夜祭。夏の川。八月の祭り。三年前の坂道。そこで、手が止まりました。坂道は、覚えています。学校の裏の、銀杏が落ちる坂です。夕方でした。告白されました。——あのさ、俺、澪のことが好きだ。言葉も、覚えています。右手の親指で人差し指の付け根を掻いていたことも覚えています。私は、はいと答えました。それから、三年間。三年間、何をしていたでしょうか。手を繋ぐまでに半年かかりました。初詣に行きました。映画を観ました。祭りに行きました。それだけです。いえ、それだけのはずがありません。思い出せるのは、その四つだけです。三年間で、四つです。いえ、それだけのはずがありません。三年です。千日以上あったはずです。千日分の、何かがあったはずなのです。出てきませんでした。布団の中で、私は一時間ほど探しました。探して、見つからないということが分かっただけでした。次の日、私は久遠くんに聞きました。資料室でした。ノートを広げているところに、私は座りました。「久遠くん」「ああ」「変なことを聞いてもいいですか」「いい」私は、一度息を吸いました。「私、本当に和樹くんと付き合っていたんでしょうか」久遠くんのペンが、止まりました。顔は上げませんで

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第56話 積み上げたもの

    次の日、私は資料室に行きました。土曜日でした。誰もいないと思っていたのですが、四人とも来ていました。机の上に、全部が並べてありました。誰かが呼んだわけではありません。四人とも、私が来ると思っていたのだと思います。久遠くんのノートが四冊。幸也くんの録音を書き出した一覧表。新太くんのアルバム二冊。「座ってくれ」久遠くんが言いました。「昨日のことで、確認したいことがある」「はい」「今日、俺たち四人の顔を見て、見分けられるか」私は、四人を見ました。和樹くん。新太くん。幸也くん。久遠くん。「……見分けられます」「間違えそうになるか」「いえ」「そうか」久遠くんは、うなずきました。「昨日は、たまたま口が滑った可能性もある。だが、可能性が高いのは別のほうだ」この人は、こういうときに希望を先に置きません。置いてから潰すほうが残酷だと知っているからです。「増えたんだと思う」久遠くんは、静かに言いました。「君の中の偽物が、また一つ増えた。増えた分、押し出されたものがある。昨日出たのは、その一つだ」「……はい」「それで、聞きたいことがある」久遠くんは、机の上のノートに手を置きました。「これは、役に立っているか」私は、答えられませんでした。「正直に答えてくれ」「……役に立っています」「どう役に立っている」「これがあれば、忘れても大丈夫だと思えます」言いながら、自分でも気づいていました。私は、安心したかっただけなのです。久遠くんは、しばらく黙っていました。

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第55話 名前を間違えた日

    六月に入りました。記録は、順調に積み上がっていました。久遠くんのノートは四冊目です。幸也くんの録音は九時間を超えました。新太くんの写真は百八十枚を印刷して、アルバムに整理していました。和樹くんは、木曜日ごとに私の話を聞いていました。積み上がるほど、私は安心していました。これだけあれば、大丈夫だと思っていたのです。ノートの厚みも、録音の時間も、写真の枚数も、全部が数字で増えていきます。増えているものを見ていると、減っているもののことを一時忘れられました。その日は、金曜日でした。五人で四組の教室にいました。雨が降っていて、外に出られなかったのを覚えています。誰かが飲み物を買ってくると言い出して、じゃんけんになりました。六月の教室は、雨の日に独特の匂いがします。上履きと、湿った制服と、埃の匂いです。その匂いのことを、私はまだ覚えています。私は、その様子を見ていました。新太くんが負けて、文句を言っていました。幸也くんが笑っていました。久遠くんは読んでいた本から顔を上げませんでした。和樹くんが、財布を出そうとしていました。「あ」私は、声をかけました。「お金なら、私が出します」「いいって」和樹くんが言いました。「じゃんけんで負けたやつが買いに行くだけだから」私は、うなずきました。そして、こう言いました。「新太くん、ありがとうございます」教室が、静かになりました。私は、最初、何が起きたのか分かりませんでした。四人が、私を見ていました。四人とも、同じ顔をしていました。「……澪ちゃん」幸也くんの声が、かすれていました。「今、誰に言った?」私は、答えられま

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第54話 何も持っていない人

    一週間経っても、和樹くんは何もしませんでした。久遠くんのノートは三冊目に入っていました。幸也くんの録音は、合計で六時間を超えていました。新太くんの写真は百枚を過ぎて、印刷して整理しはじめていました。和樹くんだけが、手ぶらでした。最初に言ったのは、新太くんです。放課後の資料室でした。ノートを広げている久遠くんの横で、新太くんが写真を並べていて、幸也くんが録音の整理をしていて、和樹くんは窓際に立っていました。「和樹」「ん」「お前はどうするんだ」部屋が、静かになりました。「新太」「責めてるんじゃねえ。ただ、お前、何もしてねえだろ」和樹くんは、窓の外を見たままでした。「……何をすればいいのか、分かんないんだ」幸也くんが、助け船を出しました。「じゃあ、俺の録音手伝えば」「それ、幸也のだろ」「そうだけど」「久遠のノートも、新太の写真も、それぞれのだろ」和樹くんは、そこで初めてこちらを向きました。「俺のを作らないと、意味ないんだよな」その日の帰り道、私は和樹くんと二人になりました。誰かがそう仕向けたのだと思います。たぶん久遠くんです。川沿いの道を、和樹くんは私の歩幅に合わせて歩いていました。いつもどおりです。「和樹くん」「うん」「何か、考えてることありますか」和樹くんは、しばらく黙っていました。それから、こう言いました。「俺、澪と何もしてないんだよ」「え」「久遠は事実を書くだろ。日付とか、病院の名前とか。幸也は澪の声を録るだろ。新太は場所を撮る」和樹くんは、指を折るように言いました。「じゃあ俺は、何を残せばいい?」「それは」「考えたん

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第53話 場所だけは消えない

    新太くんから連絡があったのは、それから三日後でした。久遠くんがノートを始めて、幸也くんが録音を始めて、それでも新太くんは何も言いませんでした。朝、下駄箱のところで待っていました。三日のあいだ、この人が何を考えていたのかは分かりません。ただ、朝の顔を見て、答えを出してきたのだと分かりました。「今日、付き合え」「どこにですか」「歩く」それだけでした。新太くんの手には、カメラがありました。首から下げるひもが新しくて、それだけ買ってきたのだと分かりました。携帯ではありません。父親のものだという、古いデジタルカメラです。首から下げて、歩きにくそうにしていました。「写真、撮るんですか」「撮る」「何をですか」「場所」新太くんは、前を向いたまま言いました。「人は忘れる。記憶も消える。でも、場所は消えねえだろ」乱暴な理屈です。建物は壊れますし、道も変わります。それでも、この人が一日かけて出した答えなのだと思うと、何も言えませんでした。最初に行ったのは、学校の裏の坂道でした。三年前の秋、和樹くんが告白した場所です。今は五月で、銀杏は青い葉をつけていました。「ここでいいのか」「はい」「どのへんだ」「……三本目の木の、少し先です」新太くんは、しゃがんで、下から一枚撮りました。それから立って、もう一枚撮りました。撮り方は、お世辞にも上手ではありませんでした。「銀杏、写るか」「写ってます」「秋にも撮る」新太くんは、そう言いました。「落ちてたんだろ、銀杏」私が話したのは、一度だけです。三年前の秋に告白された、銀杏が落ちていた、と。それ

  • 分かれた彼が、全員私を溺愛してきます 〜私も彼ら全員を愛していますが、これはいけないことなのでしょうか〜   第52話 声だけ

    幸也くんのやり方は、まったく違いました。土曜日の昼、うちの縁側に来て、机の上に携帯を置いただけです。「これ何ですか」「録音」「何を録るんですか」「澪ちゃんの声」あまりにも軽い言い方だったので、私はしばらく意味が分かりませんでした。幸也くんは、あぐらをかいて、麦茶を飲んでいました。「俺、久遠みたいなのは無理だからさ。日付とか場所とか、書けないし」「じゃあ、どうするんですか」「喋って」「何をですか」「なんでもいいよ」幸也くんは、庭のほうを見ていました。せかす気はない、という顔でした。この人が私をせかさないのは、初めてかもしれません。いつもは沈黙を三秒も置かない人です。困りました。何を喋ればいいのか分かりません。久遠くんのときは質問があったので答えるだけでよかったのです。「じゃあ、質問する」幸也くんが、録音を開始しました。「和樹の、どこが好きだったの」私は、しばらく黙っていました。携帯の画面で、赤い印が点滅していました。「……何もしないところ、です」「うん」「どこかに連れて行ってくれるわけでもないし、面白い話をするわけでもないし、私が落ち込んでいても、大丈夫かとも聞かないんです」庭で、蝉が鳴きはじめていました。五月なのに、気の早い一匹です。その音が、録音に入るのだろうかと、少しだけ考えました。入ってもいいと思いました。「ただ、隣にいるだけなんです」「うん」「それが、いちばんよかったんです」喋りはじめると、止まらなくなりました。和樹くんは、麦茶のグラスに氷を三つ入れること。缶詰のさくらんぼが好きで、最後に食べること。お箸だけ右手なこと。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status